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Facebookでやっていますm_ _m

なんどかお知らせしていますが、
ここいろの日常はFacebookの方にUPしています。
ブログはまたじっくり文章が書きたくなった時に。

今日もここいろの子どもたちのキラキラが溢れています。

https://www.facebook.com/cocoirococoro

 

カテゴリ:アトリエ風景 | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0) | -
2015年賀
 あけましておめでとうございます。
今日からここいろ2015年はじまりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年は後半くらいから2〜3歳の小さい子たちも増えました。
小さな体で全開の感性、繊細な感受性、大胆な表現、
大きくなってしまった私もいつもたくさんの驚きや刺激をもらいます。

少し大きくなった子供たちも、すっかり大きくなった大人たちも、
コアな部分はいっしょだなぁと思うと、ひとりひとりが愛おしいです。

ピュアなコアな部分を守る為に、みんな一生懸命生きるんだなぁ。。。

自由自在に空を飛び回り、
暴れん坊の孫悟空を、世界のどこにでも連れて行ってくれる金斗雲、
時々呼んで、心の冒険したいですね。











カテゴリ:アトリエ風景 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | -
美しい日本、なくなりませんように!
今書かないと、という気持ちで書きました。

私の母方のおじいちゃんは、熊本の人でした。
戦争が始まった時に、単身北京に渡り、
日本軍のスローガンを掲げ
る広告塔や看板を作る会社を立ち上げました。
「赤星工藝舎」とい
う会社です。

今の広告代理店のようなもので、
当時、日本軍の主要
な軍人さんたち、甘糟大尉なども、
よく家に来ていたそうです。

ばあちゃんは、東京で看護婦をしていましたが、
人の紹介で、会っ
たこともないおじいちゃんと結婚しに、独りで北京まで行き、
伯母伯父伯母、終戦の年生まれの末っ子の母を入れて4人の子供を産みました。

紫禁城の守衛所の横に家があって、冬になると伯父伯母たちは、
手口から凍ったお堀の氷の上に出て、スケートをして遊んだそうです。

ラストエンペラー溥儀が、満州に行っていた時は、紫禁城の中はもぬけの殻で、
伯父伯母たちは、宮殿の庭で遊んだそうです。

日本軍が勝っていた時は、祖父の会社は非常に儲かっていて、
中国人の使用人を何人も雇い、お金を盗まれる
といけないから、
壁に穴を掘って、隠していたそうです。
「世が世
なら私はお姫さまだった」が、母の決まり文句でした。

でも、祖父にとっては非常にストレスの大きい仕事だった
ようす。
家族にとっても、苦労が多かったことと察しがつきます。

日本が負けなければ、1945年頃北京博覧会という大きな博覧会が開催される予定で、
そのシンボルタワーのような大きな塔をおじ
いちゃんの会社で建てたそうですが、
日本は負けて、その塔も即座
に撤去されてしまったそうです。

おじいちゃんは、ずっと兵隊にはとられませんでしたが、
日本が負
け始めて最後の最後で徴兵され、
結局、戦地で栄養失調で亡くなっ
たそうです。
その為、戦死扱いされず、母たち家族は、遺族年金が
もらえなかったそうです。
伯父は引き上げ後、中学生だった頃だか
に、
東京日比谷のなんかの本部にわざわざ遺族年金がもらえるよう
に、
掛け合いに来たそうです。

8月の終戦後、2月頃まで北京にそのまま引き上げられずにいたそうですが、
その間は、中国人が暴動を起こして、丸太を持って屋敷
を襲いに来たそうです。
隣の日本人のお友達の家は、お父さんが護
身の為に銃を持っていて、
伯父がその友達と遊んでその家の屋上に
行くと、血だまりができていたそうです。

そして、2月頃に、持ち物一切をとりあげられながらも、
おじいちゃんの遺骨だけ小さ
な瓶に入れて隠し持って家族は引き上げてきたそうです。
産まれてまだ半年の母は、状況によっては残留孤児になりかねませんでしたが、
祖母や伯父伯母たちの強い意志のおかげで、
今私も弟も、そして息子や甥っ子も生きているわけです。

引き上
げは米軍が援助してくれていたようで、
朝鮮半島の港から、米軍の
戦車を運ぶような鉄の床の船に押込まれて、
1ヶ月か2ヶ月?かけ
て東シナ海を渡ってきたそうです。

そのような過酷な状況だったので、
船底にひしめき合った人の中で
は精神的に病んでしまう人も少なくなく、
何かわめき暴れ出すと、
兵隊が銃であっけなく射殺していたそうです。
そんな光景を当時小
学1年生だった伯父は目の当たりにしています。

そして日本の陸地が見えたとき、大人たちは甲板に上がって、歓声を上げていて、
伯父が一緒に見にいってみると、日本の陸地がピンク色に
煙立っているように見え、
それは満開の桜だったそうです。
(映画
にするならこのシーンからだと思っています。)

祖父の故郷の熊本に帰った母たちでしたが、土地や家は親戚の手に渡っていて
しかたなく一番上の姉を熊本の親戚に残し、
祖母
の故郷の富山県に移り住みました。
熊本に残った一番上のお姉
さんに母たちは何十年も会えませんでした。

母たちのその後の生活も過酷だったようです。
祖母は学校の用務員
をしながら、家族でその用務員小屋に寝泊まりしていたそうです。
雪の夜は寝ているうちに、枕元に雪が積もったそうです

正に蛍雪の功で、雪灯りで、母たち兄妹たちは勉強をしたそうで
す。

そんな中で、祖母も伯父も心身ともに体調を崩した時期もありました。
母は大学受験の勉強をしながら、祖母の看病をする中で
、辛い場面もあったようで、
心に大きな影響が残っています

 そして、そんな母に育てられた私や弟にも、大きな影響が残って
います。
私は、自分の息子にはその影響を残さ
ないように、
毎日の子育ての中で強く意識しています


戦後、日本は高度成長期で、
幸せを夢見て向かってまっしぐらだっ
たかもしれませんが、
確かに日本は頑張ったし、そうするしかなかっ
たかもしれませんが、
どの国が良いとか悪いとかではなく、
確実に
、戦争の傷跡は、何十年も後世に続いて行きます。

私はそれに気づき、幸せな世の中を想像して創造する子供たちの心を育てたいと思って、
この仕事を始めました。

素晴らしい能力を持ちながらも、様々な環境や関係のなかで、
それを表現し辛く、また、どう表現して良いのかわからなかったり、
また、逆にそれは悪いことだと思ってしまったりしている子を、
引っぱり上げてあげたい、広い所に出してあげたい。

そんな思いで、ここいろをやっています。

が、最近、ちょっとそんなゆ
っくりしたことを言えないような状況になってきた気がして、
とて
も危機感を感じています。

何をすればいい?何ができる?
すごくなにか大きなものが、
目の前にやってきている気がします。

大切な子供たちが戦争で戦うなんて、
息子たちを戦争に送り出すなんて、
想像しただけで気が変になりそうです。

とてつもない恐怖感が襲ってきます。

どうか、この69年間日本が守り続けてきた平和を、
日本人自ら崩すことがありませんように。
世界が、この平和の憲法を、認めて守ってくれますように。


画像は、サポサポ10のポストカードです。


今日は雨の七夕ですね。

でも、旧暦の七夕はまだです。

梅雨が明けたら、日本の美しい夏ですね。



















カテゴリ:アトリエ風景 | 10:04 | comments(0) | trackbacks(0) | -
朝日新聞 子どもの日 子ども広告
 明日、5月5日子どもの日の朝日新聞全国版朝刊の広告は、
子どもたちが描いた絵です。

ここいろも、芸大の先輩である朝日新聞社の岡田さんよりお声がけ頂き、
初年から3回目の参加をさせて頂きました。

今年は残念ながら、ここいろから紙面掲載に選ばれた作品はありませんでしたが、
参加作品のすべてが朝日新聞の特設ウェブページに掲載されます。

大変貴重な機会を毎年頂けておりますことを心から感謝致します。
また、“好きなことをする”という教室のスタイルの中、
積極的に参加してくれた子どもたちにも心からありがとうです。


http://www.asahi-web-ad.jp/kodomo/
※現在はアクセス制限がかかっておりますが、5月5日の朝には閲覧いただけるようになっております。
※特設ページの掲出期間は6か月間を予定しております。


*********


余談になりますが、私がデザイン科を選んだのは、
駅に貼られる大きなポスターをみて、作ってみたいと思ったからです。
小さい頃からテレビCMも好きでした。

CMやポスターは、限られた制約の中で、
いかに内容を見る人に印象的に訴えかけられるか、
という、かけ引きだったり、作戦だったり、がオモシロいと思います。

どんな作品ジャンル、またはどんな仕事でも、
そのかけ引きや客観性は必要となると思っています。

ここいろでは、基本的には自由に創作をしてもらっていますが、
きっかけのテーマを私があげて、
そこから自由に発想して形にするというスタイルもあります。
意外に、小さな子たちにもゲーム感覚で楽しめるスタイルです。

お題(テーマ)に応えて、自分にしかできない発想をする、
自分らしい表現をする、その良さをアピールできる作品を最後まで形にする、
どうしてこれが良いと思ったか、
コンセプトをプレゼンテーションするという作業は、
とても大事な社会勉強の入口だと思っています。



カテゴリ:アトリエ風景 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0) | -
記憶の金魚


夏が去ったと思ったら、

また戻ってきたり、


急に晩秋みたいだったり、

最大級の台風次々来たり、

今年は、いやこの数年、気象が激しい。


今年は、私の気運も激しく変動している。


池の水が大雨で泥とか巻き上がってしまった感じです。


昨年末頃から、激動過ぎて心身がもたないよ、と思いながらも、

なんとかいろんなことに支えられて今に至り、

少しずつ今まで積もってた汚泥が巻き上がった時に浄化されて、

きれいな土に戻って、再び落ちついて、

水も澄み始めたような感じです。


支えてくれているのは、ここいろで日々生み出される子供たちの

キラキラでしょうね。

もちろん、通って下さる大人のみなさんや、子供たちの親御さんたち、

うまい単語が出てきませんが、みんなから発せられるキラキラしたモノです。



このブログは、本来は教室の子供たちの作品に端を発し、

その時の時事的なことについて考えたことと、

自分の奥深くに持っている持論とか織り交ぜて

書いてましたが、


最近は FaceBookのここいろページ で

日々の子供たちの作品については、

フレッシュに紹介しているものですから、

こちらのブログはご無沙汰になってしまって。


なにしろ、子供たちの作品が日々次々きらめくように生み出されるので、

私が文章を混ぜこぜ捏ねている時間が間に合わないのです。



とはいえ、書きたいことあるんです。


子供たちの作品を織り交ぜないと、

純粋に私の私的なTheポエムになってしまいますけど、

それもこれも自分を形成している感覚や要素を言葉に落としたい

といった主旨なので、どうかご容赦下さい。



ということで。。。



今年の夏に、ここいろに、金魚ちゃんが来ました。

まだ名前はありません。

そうだ、だれもつけようとしませんでした、息子も。


教室のベランダの睡蓮鉢の水環境がとても気持ち良さそうで、

小さい子達が覗き込むたびに、「なにかいるの?」と聞くので

金魚入れたらどうかなぁ、と思って、

8月近所の盆踊り祭の金魚すくいで

息子にすくって(実際はもらって)きてもらいました。


最初は4匹いたのですが、

水に慣らさなきゃと、おっかなびっくり、塩水に入れたり、

少しずつ水増やしていったりとかしてる間に、

2匹死んでしまいました。


残った2匹。


2週間もてば、けっこう長生きする、と聞いていて、

もう2ヶ月経ったので、ほっとして、今では安心してみていられます。


2匹とも、追いかけっこしたり、水草つまんだり、

楽しそうで良かった。



 



金魚といえば。。。


私が幼少期に暮らしていた、父方の祖父母の家でも金魚を飼っていました。

それもたしか夜店の金魚でした。

10年以上生きて、15cmくらいにもなった大物もいました。


金魚をみると、いつもその祖父が世話していた金魚を思い出します。



祖父はテーラーでした。背広の仕立て屋です。

「竹屋テーラー」


そのお店の玄関にその金魚の水槽が置かれていました。

時々私もエサをあげたり、水槽の水を換えるのを手伝ったり。

ぬれた手で水槽用の照明をさわってしまって、

感電したこともありました(笑)


水槽を覗くと、水槽のガラスの内側が鏡のようになっていて、

水が入ってないと透けているのに、水が入ると鏡のようになって、

金魚達が写るのが不思議で面白くて、たびたび見入っていた記憶があります。


その現象を再現したくて、芸大の卒業制作で巨大な水たまりのようなモノを

無茶して作ってしまいました。


やっぱり、大きくなってから作るモノって、

必ず幼少期に何かきっかけがあったり、

見た情景だったり、作りたかったモノだったり、

養った感覚だと思います。


だから、ここいろの子供たちには、

そんなステキな宝物がひとつひとつ大事につまった引出しを

子供のうちにたくさん作ってもらいたいと思っています。

子供の頃に、いかに感じて考えて、たくさん想像して創造して、

引出しの中身を、人に与えてもらうのではなく

“自分で”さがしてみつけてたくさん作るかが

大人になってからいかに深く豊かに生きるかになると思うのです。



今の私の感性はほぼそのおじいちゃんちで養われました。

気難しい所があったけど、繊細で美意識の高いおじいちゃん。

貧乏だったけど、贅沢ではなく趣味の良い人でした。



価値はさておき、おじいちゃんの好みで集められた掛け軸。

何が書かれてるかわからなかったけど短冊。

仏間の床の間に季節ごとに架け替えられてた。

床の間の盆石。

盆石の台座はおじいちゃんが木を掘って手作りしていた。

石を磨くのを私も時々手伝った。

小さな柱時計。

柱時計の音は今でも耳に残っている。

小さい頃、喘息になると床の間の前に敷かれた布団で

何日も発作に耐えていた。

苦しくて眠れないので、振り子をずーーっと見ていた。


屋根いっぱいに置かれた盆栽。

朽ちかけた木の梯子。

屋根の瓦の上に登るなんて、今の子たちはするのだろうか。


おじいちゃんの仕事場のすみの日当りのよい窓辺に

盆栽用の回転台や道具が置いてあって、

おじいちゃんが陽だまりの中で盆栽をいじっているのを思い出す。


裏庭の盆栽に囲まれた肥やし置き場。

肥やしはとても臭かった。

肥やしは植木鉢に団子状にのせて卵の殻をかぶせる。

あれはなんでだったんだろう。


仏間と障子で仕切られた、おじいちゃんの仕事場。

束で下げられた仕付け糸。

黒光りした足踏みミシン。

鉄の重たいアイロン。

アイロンをかけるときの水の桶。

水を布に湿らせる硬めのブラシ。

耳かきのようなへらで付けるアイロン糊。

竹の長い物差し。


仏間と仕事場の間の柱に、私と弟の刻まれた背丈。

弟が私を追い抜くところまでは刻まれなかった。


帳場の周りに平積みされた倒れてきそうな生地の壁。

どれもこれも同じような暗い色で、

子供の時はつまらないと思ったなぁ。

もっと、いろんな色や柄があればいいのに、と思ったけど、

背広だもんね。仕方ない。


新しい生地を仕立てる時には、最初に生地をお湯に漬ける。

その時のにおい。


生地に埋もれた帳場。

明治天皇皇后の写真。

天井付近に飾られた大きな熊手。

いちども取り替えられたのを見たことがない。


大きな裁ち台。

よく研がれた切れ味の良い裁ちバサミ。

裁ち台と壁の隙間があって、かくれんぼの時はよくそこにかくれた。


裁ち台の前に応接セット。

中途半端な高さの小さなテーブルに置かれたカギ編みレースのテーブルセンターと

重たいカットガラスの灰皿とデカクて持ちにくいライター。

おじいちゃんはセブンスター。

おとうさんはマイルドセブン。

よくタバコ屋に買いに行かされたが、

今はおつかいも禁止だね(笑)


裁ち台の横にはしっかりした階段。

二階には納屋?物置部屋?があって、

二階の部屋から小さな窓?をくぐって入る。

あの部屋の造りはなんだったんだろう?(笑)


その物置部屋は、1階の仮縫いの部屋の横からもハシゴで登れた。

床の板の節の所に穴が空いていて、

そこから光がもれてて、下の部屋をのぞいたりしたなぁ。

やねうら、やねうらって言ってたかな?

っていっても、二階と同レベルにある部屋だったけど(笑)

暗くてモノがあり過ぎでぜんぜんかくれんぼで入り込めなかったけど、

面白い場所だったなあ。

そういえば、天窓もついていた。

星空を見るとか明かり取りとかそんなシャレたものじゃなくて、

きっともっと実用的な天窓だったんだろうな。


まだまだいろいろ。


今思えば、実に不思議な家だった。


おじいちゃんち、今、舞台セットで作っていいと言われたら、

殆どそのまま復元できるかもしれない。


なぜだか最近とてもよく思い出す。




あの家は・・・あの家はいつ無くなってしまったんだろう。



壊されるところを見ていないのが幸いか?


在った時の記憶が鮮明過ぎて、


まだ在るみたいだ。



この間、同窓会で地元に帰った時、

明け方同級生Tとその家があった道を通ったけど、

思い出深い道、場所なはずなのに、

なんだか、違う次元?時空?と混在しているような、

パラレルワールドにいるみたいな、


そんな錯覚になるくらい、そこにないのが不思議だった。



悲しいというか、、、


むしろ、


まだ在る、というか。。。


人の記憶なんて、そんなもんだ、というか、


それでいいんじゃないか、と思う。



その人の中に、ありありと在るなら、有るんだ。



ある時期が来て、


昔の記憶たちが、記憶の池のなかで巻き上がって、


キラキラしたものに変わって、


きれいになって、また静かに沈殿していく。



除染じゃなくて、浄化。



腐ったものは、もう朽ちて風化したはずだから、

今でも記憶の池に残っているものは、

いい思い出じゃないと思っていたものも、

もしかしたら、見方をかえればいいものかもしれない。

ほこりを払ってみたら、透き通っているかもしれない。

光を当てたら光るかもしれない。



今年は、そんな年かもしれない。



40代なんて、ちっとも面白くない、

先輩のHが40代めちゃ楽しいなんて言ってたけど、ぜんぜんじゃん。


って思ってたけど、


これからなのかもしれないな。



積もりに積もった記憶が、大雨降って巻き上げられて、

きれいになって降り積もっていく。


そして、そこにまた新しい種が落ちて芽が生えるんだ。


これからの半生がキラキラとした明るいものでありますように。

そして過ぎ去った半生もキラキラとしたものになりますように。



先日ふと見た幻日は、瑞兆なのだそうです。









カテゴリ:アトリエ風景 | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) | -
時間旅行

梅雨が明けました。

今年の夏は長いそうで、

夏生まれの私は、嬉しいのですが、

ヒートアイランド現象は

なんとかならんもんかと、腹立たしく、嘆かわしく。


でも、七夕生まれのKOちゃんが言っていたように、

七夕に梅雨明しているのは珍しいって。

ほんと、そう思う。

本来の七夕は旧暦なので、もう少し時期的には遅く、

その時期だったら例年星空がキレイなはず。

今年は新暦の七夕に満天の星空、

それはそれで、なんか良いことがありそうなウキウキ感も感じます。


先日、夏越しの大祓の神事にも初めて参加してきました。

今年、あと半年、よい日々でありますように。



ブログ、なかなか書けません。


日常的に、ここいろの様子はFaceBookの方にUPしてます。




年明けからこの半年、自分の想像の超えたとても大事な出来事が度重なり、

自分の人生を振り返るどころか、

戻ってもう一度歩き直しているというか、

自分が知らなかった過去の事実を知らせてもらっているというか、

いま、自分の在り方を見つめ直している、というか、

新たに、というか、新しい自分に?次元に?次元の自分に?、

いや、そんな大それたことじゃないにしても、

今、それに感覚を合わせているというか、

チューニングし直しているというか。

そんな時期のようです。



言い訳がましいです。


そんなことは当然おかまいなしに、

日々ここいろでは、子供たちのキラキラした作品が生まれ続けています。

何度もURL載せちゃいますが、ここいろの日常、こちらでご覧頂ければ幸いです。




このブログは、教室のブログの体ですが、

完全に私の、文章を媒体とした私的な、詩的な?作品です。


一気にたくさん雨が降って、土が混ざり合って、

栄養が流れ込んで、

水がひいて、落ちついたら、

また、種が芽吹いたり、花が咲いたり、

すると思います。


教室の狭いベランダにも、

イチゴや鉄線や睡蓮やゴーヤや、

芽が出て膨らんで花が咲いて実がなって…



そんな状況を、また表現したいと思います。



 
カテゴリ:アトリエ風景 | 11:36 | comments(0) | trackbacks(0) | -
あしもと

安部さんが仕切りに、

日本という国に生まれたことを誇りに思える教育。

と言っている。


お…

意外と新鮮なことばだな、と思った。

戦後長い年月が経ったから、ようやく公人が言える言葉なのかもと思い、

お。。と思った。


96年ニューヨーク大学に短期留学した時、

その頃私は、日本にあまり目を向けておらず、

むしろ、あまり好きではなく、

海外で学ぶことに意気揚々としていたが、

世界一の大都市に集まった国際色豊かな学生達の中で、

自分の作品を説得力をもって表現することは然ることながら、

友達になった学生達との日常会話の中で

「おまえは何者なのか」

「おまえの生まれた日本という国はどういう国なのか」

ということを、具体的にも雰囲気的にも問われている場面に多々直面し、

それには大きく狼狽えた。


私は自分の言葉で自信を持って話すことができなかった。

というか考えたことがないことに気づかされた。


それまで自分を前進させ、自分を押し上げることに猛進してきたが、

足下の床がふっと抜けたような、というか、

気づいたら床がもともとなかったような、

必死に沈まないように腕力だけで浮き上がろうとしていただけだったような、

そんな自分のそれまでの現実に愕然とした。


他の国の同じ世代の学生達は、自分の国のことをちゃんと語れるのだ。

アメリカとかフランスとか大国はもちろん、どんな小さな国の子も。

日本は他国が賞賛するすばらしい文化を持っていながら、

日本人がその良さをわかっていなかったという…。


その問いかけに答えられなかったことで、

作品のレベルで認められなければという契機にはなったが、

自分の根幹が弱いことは世界に出た時どう足掻いても限界があると痛感した。


それまで、大学での課題作品では完成度の足りない部分は

言葉で補足(言い訳)できていたが、

言い訳ができない状況に初めて裸で投げ出された感覚だった。



内にいるときは外しか見ていなくて、

外に出てはじめて、元いた場所が見えてくる。

旅行じゃ、そこまで気づかなかった。


どんなに自分のいる環境が、好きじゃなくても、気に入らなくても、

それが自分の土台であることは変えられない。


認識して、理解して、自分をひも解かなければ、

自分の表現や、それを他者に表現するすべも導き出せず、

それこそもがき苦しむ。


仕事でそれに直面するとその場のダメージが大きいだろうから、

教育の場でそれを実感できるのが最善かもしれない。


それに気づけたのは、私のそれまでの人生の中で、

とてつもなく大きな気づきの経験になった。



日本で愛国心というと右とかってなってしまうのは、戦争があったからか?

教科書問題にもつながるのかもしれず難しいのかもしれないが、

もう歴史において自国の良かったとこ、悪かったとこ、きちんと知って

より良い未来につなげなければと思う。

陰を知って陽を知るというか。


多面的に物事をみたり感じたり考えたり、

価値観が多様化する現代社会、国際社会では必要なのだと思う。


という意味で、

反発心、反抗心も含めて、自分の国の文化を知ること、

考えるきっかけが教育の場であるのはいいなと思う。


自分の学生の頃に比べたら、日本人も日本文化の良さを再認識し

日本文化に誇りを持ちはじめたように思う。


そして、多様化する世界に於いても、多様性に振り回されず、

軸足は自分の中に保てるように。

その為に、自分のことも日々表現して評価を受けて、喜んだり反省したりまた学んだり。

試行錯誤を繰り返す。


失敗しても折られても、また力強く立ち上がれるように、

その軸足をしっかり踏ん張れるためにも、

根っこをしっかり張るためにも、

「足もと」が大事だった。


それが人間力を育てることになる。

ひとりひとりの子供も大人も自分の軸足で立てる力を育てること。



その日の国会中継は教育改革の予算審議だったから、

子供たちに文化・芸術に触れさせる体験授業と、あと教員育成に着眼していた。


本当に小中学校の美術・音楽の授業は大事だと思っている。


答の決まっていない分野。

個性や価値観の多様性が許されるはずの教科。

その子それぞれが表現や鑑賞を自由に楽しめる教科。


学校の美術の先生は成績をつけなきゃいけないのが、本当に難しいと思う。

自分がなったとしたら、本当に苦悩すると思う。

どうしても技術的な上手い下手は出てきてしまうが、

技術だけじゃなく知識を深める生徒がいてもそれは鑑賞者として

芸術には大事な立場だ。

点数がつかなければ、勉強しない子もいるだろうし、

たしかに、芸術は表現と学問の折り合いが難しい。



芸術は「教える」のではなく、その感覚を「育てる」のだ


と、私は思っている。



技術はあとから必ずついてくる。



教育改革についての国会衆議院予算委員会、

元バレリーナの議員の質疑、

時間配分や質疑の内容のバランスがなかなか良かった。

「心で学んだことは忘れない」という言葉に同感。

そしてまずは「感じられる心」も育てねば。


芸術教育はただの余暇を埋める趣味や技巧的なことじゃなく、

「想像して創造する」という人間形成や社会形成の根幹になる大事な教育だということを

どれだけの議員がわかっているか。

自身もリベンジとおっしゃる安倍さんに、多いに期待。




写真は96年NY、世界貿易センタービル屋上からアップタウンを望む

この5年後、このビルが崩壊した映像を見たときは、

この時の風景が足下から崩れ落ちる錯覚に陥った。


高見から望むより、地に足をつけて生きていきたい








カテゴリ:アトリエ風景 | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) | -
2013年賀



寒中お見舞い申し上げます。



やっと…やっと作りました。



やり出せば1日でできるのに、


一度中断すると、またやる気がくるのに何週間も…




…いや、


ホントはそうじゃない。



つい数日前まで、新年を祝う姿勢ができていませんでした。


旧年の残務と格闘していたのです。



実務的にも、


精神的にも。



昨年12月、世はアセンションを迎えたと言われていましたが、


うーん、なんか確かに空気重たいな、


くらいにしか感じていなかった私にも、



いきなり、


大きな次元の変動を迎えたような混沌とした塊が降ってきて、



かなり大きな衝撃があり、


このまま抜けられない闇の中に堕ちていくのかと


愕然、茫然としていたら、



ふと、


パラレルワールドに横跳びしたみたいに


明るい道に出て、



カチャンっと、


うまく噛み合っていなくてギシギシいってた歯車の


ズレが直ったような、



そんな瞬間が来て、


ふっ…と、自分でも不思議なくらい、


気の持ち様が変わって、



それまで止められなかった、こうじゃないって感じがやっと止められて、


私はこうしたかったんだ、って感じが急にできはじめて、



きっと、なんだか、それを超えるまで、


新たな年を迎えることはできなかったんだな、って、




それでやっと、本当は年賀状だった絵の作成に取りかかれたのでした。




でも、いいのいいの、


今までそうはいってもマジメにギチギチでヘトヘトでしたから、



今年からはゆっくりと、


心のゆとりを持って、


吉祥 が舞い込んでくるスキマをつくりたいニョロ〜〜



と思います。




というわけで、


大変遅くなりましたが、


今年もよろしくお願いいたします。




あぁ、やっと、言えます、




明けまして、




おめでとうございます。














カテゴリ:アトリエ風景 | 00:10 | - | - | -
ちょっとデザイン論 −覚え書−


FaceBookで先輩の投稿にて読ませて頂いた。


「日本民藝館の館長になるということ」深澤直人 

『民藝』201210月号掲載


http://www.mingeikan.or.jp/about/directors_statement.pdf



日本民藝館の近所に12年も住んでいるのに、2回しか入ってない。

それももう8年も前。

近々息子とまた行ってみよう。



若輩者の私が言うのもおこがましいけど、


私が芸大のデザイン科に入りたかったのは、


デザインとは総合芸術だと思ったから。



それまで映画が総合芸術だと言われていたけど、


表現の技法的なことではなく、


感覚や考え方も含めて、


生活自体だったり、


人が生きること全てがデザインだと思ったから。



その漠然とした思想を、


いろいろな可能性を試しながら自由に作品をつくってみて、


はっきりさせたかった。


それができるのは芸大のデザイン科だけだと思った。



深澤さんの文にあるように、


若い頃は世に溢れたデザインに酔い、


様々に、考え、求め、作り、壊し、失い、学び、


今ようやくその大事なものがわかりかけてきた。



天才的な才能で歴史的な芸術作品を残せないのなら、


デザインを志す自分が残せる、


できるだけ普遍的な作品、仕事は何なのか。


って、ずっと思ってた。



そして、


人を育てることだと、答えを出した。



心を育てるかな?


感性を育てるかな?




もちろん、


色、形、配置、など装飾的に美しく工夫するデザインも通して、


そして、


音楽や言葉や表現、全てを通して、



私のなかの「デザイン」は、


美術の一分野ではなくて、


決してスペシャルなことではなくて、



将来的に、「デザイン」という言葉が、


うーん、なんだろう・・・


総合的に・・・ある意味それは演出なのかもしれないけど、


装飾的な演出じゃなくて、


本質的な・・・



外側も含めて、内側から発せられる全部、


大事なモノを選んで、残して、構築していくような、



自分らしく生きる、


人生をプロデュースする、



みんなもってる純粋なままの心の種をどう自分で守って育てていくか、かな。



いや、自分だけじゃなくて、


自分の周りの人も、事も、


“らしく”・・・ “活かす” “生かす”


みたいな、意味あいの言葉に


変わっていくんじゃないかなぁって、



人に寄り添うモノを作り出すのも、


人に寄り添い表現を引き出すのも、



デザイン。



それが、“民”の“藝”なのかなぁ。。。




深澤さんの文を読んで、


昔、上野駅の公園口を出て、上野公園を通り抜け、


芸大に向かうまでの道で頭に浮かんだあの気持ちが呼び起こされて、



なんだかまた身が引き締まった。



宮島達男さん「LIFE I-model」展 @谷中 SKY The BATH HOUSE にて 息子と甥っ子と




カテゴリ:アトリエ風景 | 02:09 | - | - | -
自然の自然治癒力
教室のベランダで


10月なのに、テッセンが咲いた。

10
月なのに、イチゴが実をつけた。


テッセンは毎年初夏に咲く。

もうかれこれ何年だろう。

毎年その時期を楽しみにしている。

でも、この時期に花が咲いたのは始めてだ。




イチゴは何年か前にどこからともなくやってきて、

うちのプランターに芽を出して、

3年目の今年の春、実をつけた。

勝手に生えたし、今年始めて実をつけたからわからないけど、

1年に2回も実をつけるんだっけ?

イチゴはこの時期実をつける種類があるって聞いたけど、うーむ。




イチゴも、テッセンも、

夏が終わったら、葉っぱは枯れて、

宿根が休眠状態に入るはずだ、

いや専門知識はないが、毎年そんな感じだ。


そして来年の春にまた緑の葉を出す。


なのに、今、咲いてる。成ってる。


異常気象のせい?


そういえば、最近、植物の成長が著しくて、

ちょっと不気味だな、と思うことがある。


路地の植樹がいきなり大きくなって

道が樹のトンネルみたいになってたりして、びっくりしたり。

あまり開けない窓の外に、自然に一気にグリーンカーテンできてたり。


異常気象のせいですか?

たまたまそういう生物の周期?


でももしかしたら、去年著しく汚染されてしまった大気のせい?


ナウシカの大きな蟲達みたいに、

異常な大きさになっていくんじゃないかって、


想像したりとか。


大地の毒を体に取り込んで

清浄な状態にして土に戻してるって?


植物が地球を守ろうとしてるように

実は最近そんなふうに薄々本気で感じるんです。


一生懸命、植物が地球の傷を覆いかぶそうとしてるように思うんです。


もののけ姫の最後のシーンみたいに、

焼き払われた野山を緑が埋め尽くしていくみたいな感じです。



最近、時々思うんです。


人間は、いつからこんなに繊細で複雑で壊れやすくなったんだろう。


昔から実はそうだったのかもしれないけど、

でも、こんなにもろかったのか?

こんなに愚かだったのか?


ちょっと何かあると、すぐ壊れる、すぐ壊しあう。


なにか、みんなが今にも壊れそうなガラス細工みたいだ。


もっと、どっしり、腰をすえて、地に足をつけて


清く、 正しく、 美しく、


生きるにはどうしたらいい?



精神的な危うさ、アンバランスさは、どうしたら落ちつく?



花粉と同じかも。


沸き立ってしまった、感情の粒子が、

舞い上がってしまった、埃のように、


土に吸着されない。


コンクリートや、アスファルトの上を、

ふわふわふわふわ、

もそもそもそもそ、

所在なしに彷徨い続ける。


とうとう、有害物質と絡み合っちゃって、

アレルギーを引き起こす。


もっと、地面を土に戻せば良いのに。


アスファルト剥がして、土に戻せば良いのに。


泥ハネがもういやだったら、土を土のまま固める技術を開発すればいいのに。


呼吸ができるような土地に。


子ども達が思いっきり根を張って、

自分という樹をすくすく伸ばし、

感性の枝葉を思いっきり伸ばせる、


やさしい大地に。



そうしたら、きっと、この危うい精神状態の人類も、


清浄なバランスを取り戻すのに。



なんて、ちょっと妄想をしたりするのだが…


いや、本気でそう思う。



どうして、こんなコンクリートに囲まれて

生活してなくちゃいけないんだろう。


過去の消化できない記憶、

浄化できない精神、

全部土に戻したい。


水に流すだけじゃまた循環して戻ってきちゃうから。


自分のなかに取り込んだものは、

自分の感性でキャッチしてしまったものは、

飲み込んでしまった魚の骨は、


自分の中で消化して、

良いものは吸収して、

不要なものは排泄して、

最後は自分の身体も土に戻すのが自然の摂理。


そうじゃないと、思い出すたび、

アレルギーのように、また苦しい。


抜けないまま、動くたび、刺さって痛い。



きっと、都会の植物たちは汚染物質が鬱積した都会を

浄化しようとがんばっている。



最近、時々、いや、だんだん頻繁に本気で思うようになってきた…


もっと、土のある生活がしたいなぁ。。。




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