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人がみる空間 いる空間 いた時間
昨日、エイブルアートにて、

芸大の先輩、庭JAPANの長崎剛志さんのセッションに参加してきました。


被災地での瓦礫撤去作業の先に踏み込んだ、

庭の復旧=人が生きる空間の再構築は、

緊急支援の延長線にある、

まさにアートが癒しの効果を持つこと、

前向きに生きる原動力になるということを実感する作業だったというお話を聞きました。


アートが専門的な特別分野なことではなく、

人間の根本に必要な要素だということを、

庭が=観る空間・居る空間の構成→空間を整える→精神の安定化→精神の浄化

という役割があるという切り口から、改めて認識しました。


人が手を施すこと、手当てをすること、手入れをすることが、

人にとっても、人が求める“自然観(自然感?)”に

非常に必要なことだという長崎さんの言葉は、

芸術の、人間にとっての必要性を確信するものでした。


今後、芸大OBとしても、個人的にも、

被災地の支援や、被災した子供たちの心のケアにどう関わっていけるか、

また被災していなくても、

現代社会人にとってアートがどう必要なのかを考える上でも、

とても有意義なセッションでした。

http://popo.or.jp/info/2011/12/2011-3.html



セッションのあと、食事会の間に息子Mが店の片隅で描いた絵。

自分が将来住みたい庭だそうです。

M_庭


大きな樹は、長崎さんの話で、強いパワーを持っていると聞いたからかな。


壁につたっているのはブラックベリー。

今年2月まで住んでいたアパートの庭に植えていた。

鉢植えで買ってきて地面に植えたら、ある年ぐいーーんと驚くほど伸びて、

毎年どっさりブラックベリーが採れた。


なのに立ち退きしなきゃいけなくなって、掘り起こそうと思ったら、

コンクリートの隙間に根をがっしりはっていて、

息子と2人で力をあわせて引っぱってもちょっとも抜けなかった。

そして泣く泣く切り倒して、その場に置いてきた。


その寂しい思い出のせいか、息子は時々、

更地になったアパートの跡地をひとりでこっそり見に行っていたそうだ。
近所のママ友から聞いた)


長崎さんの話で、庭という空間は

住んでいる人の時間経過と共に

特別な思い入れや思い出がこめられる場所だと改めて認識した。


家財道具はそっくり移せても、

前より新しい部屋になっても、

その庭の空間と時間は移せない。


借家だろうと持ち家だろうと、他人の家だろうと公共の場だろうと、

関わり方はそれぞれ違うとしても、庭は良い。


「人間は土から離れては生きられないのよ!!」と

ラピュタのシータが言ったのはまさに真実をついている。


何代にもわたって家屋敷を維持するのはとても大変なことだけど、

いつか、

外に目をむけると手入れの行き届いた心癒される庭空間が広がる家に住みたい。



芸大3年の古美研で、大徳寺の孤篷庵を見たとき、


庭は人間の内面世界と外界との間にある、不思議な空間だと思った。


壁を持たない古代日本建築に於いては、

御簾や格子の開け加減、障子や襖の開け閉め、屏風の位置、

そして自分の居る位置で、

他人との距離感、外の空間との距離感を計った。


人との接し方、四季折々の風景の愛で方に美学があった。


あ、今日は皆既月食だ。



ほんのここ最近、庭のお仕事に携わる芸大の先輩たちに縁があって知り合うことができた。


インスタレーション作品を作っていた自分としては、

空間と時間を構成し人に観せることの本質をずっと考えていた


紆余曲折、流れながら、考えながら


私は普遍的な芸術の影響という観点から子供の感性を育むことを

仕事にしようと決めたが、


自然の樹や草花と対話しながら人の居る環境を整える仕事というのも、

なんて神聖な仕事だろう。


昨日のセッションで、奈良からきた男性が質問の際に

「庭師は一番すごい仕事じゃないかと最近思っている」とおっしゃっていたが、

まさにそうかもしれないと思った。



そうだ、その庭師の芸大の先輩は2人とも、


笑うとトトロに似ている。




息子の恐らく原風景になったであろうブラックベリーの庭、

無惨にも奪われてしまった私と息子の大事な空間。


また植えられるような場所に住みたいという

夢につながればいいなあ。



******


震災直後、その直前の引っ越し、ブラックベリーについて書いた

2011/3/15のブログです。





カテゴリ:Mの世界 | 11:47 | - | - | -
本気で自由!


息子M、3年生。


うちの学区は今日で夏休み終了。



今年も、夏休みどこにも連れていってあげられませんでした。


でも、そのかわり、がっつり宿題見てあげようと思って。



Mは、勉強はもとより、工作や絵も、ゆるめというか、

中途半端というか・・・


それがMの持ち味なんですが、


3年にもなるわけだし、


まわりの友達は、だんだんと自分の得意分野を伸ばしてきているし、

Mは、どうも要領が悪くて勉強できなさそうで、

私もいつも、こっぴどく怒ってしまうので、


ここらでいっちょ、

入魂のモノ、


自分はここまでできるんだ!って

自信がつくようなモノ、


渾身の作を、作らせてあげようと思って、


母プロデュースで、夏休みの自由工作。



私が、小学校の読み聞かせボランティアで、

Mが1年生の時初めて読んだ「つきのぼうや」を

立体絵本にしました。


moon_hyoushi


B全のケントボードなんて、初めて買ったよ!!


東急ハンズから、自転車で、風にあおられながら持って帰ってくるの、


大変だったね!



60cm定規2本つなげて、

90cm×13cmの寸法計るの、大変だったね。



直線が曲がってる!


直角がでてない!!


カッターの刃の角度が悪い!


大工になりたいって言ってたよねぇ!

そんなにいい加減じゃ、家なんかたたないよ!


って、

かあちゃん、


スパルタだったねえ。



ここいろで、生徒さんたちを見る目と、


息子を見る目は、まったく違ってしまう。



いいのか?こんなんで、



私の指導方針は。




それでも、Mは

泣きながらでも、素直に言うことを聞いて、ついてくる。


自分のやりたい方向性も主張する。

母の意見もちゃんと納得した上で受け入れる。



どんなに怒られながらでも、

どんなに時間がかかっても、


わくわくしながら、作ってたね。



かあちゃんが、家事してる間、

先に教室いって、何時間もひとりで作業してたね。



本当にできるかなぁ

本当におわるかなぁ


って、時々いいながら、


でも、がんばって最後までやりとげたね。



子供は夏に伸びる って

昔、どっかの予備校のキャッチコピーで聞いたけど、


子供を持ってから、


それを痛感するんだ。



だから、旅行にも、キャンプにも、どっこも連れて行ってあげられなかったけど、


でも、自分じゃムリかな?って思うくらいの高いところ目指して


必死に頑張った経験は、


3年前に登った富士山と同じ。



やっぱり、夏休みじゃなきゃできないし、


とっても大きな自信と躍進になったと思うんだ。


小学校中学年って、とっても大事な時期だと思うんだ。




「自由」っていわれる時こそ、限界を試すチャンスなんだと思うんだ。



moon_M





カテゴリ:Mの世界 | 01:11 | - | - | -
Mの空想底力
私はクリスマスがわからなかった。 


もちろん、キリストの生誕を祝う日ってのは、当たり前に知ってる。

もし、私が留学や仕事や旅行で、その時期、キリスト教圏に滞在していたとしたら、

むしろ是非とも、その土地の風習を実感するために、クリスマスを祝いたい。 


宗教としても、キリスト教に対してなにか疑問をもっているわけでは決してない。

私としては、どの宗教も本質的な根源は同じだと思っているので、

キリスト教も1つの教えとして尊重したいと思ってる。



イルミネーションは大好き。

インスタレーションの作品を作っていたことにもつながるが、

空間演出として、とても好き。

この時期、例えば車で偶然イルミネーションの通りに出たりすると、

かなりテンションが上がる!!



が、

そう、日本でクリスマスを祝う意味がわからなかった。



日本経済において、クリスマス商戦とかいって、 

キリストの生誕を特に意識しない人たちが、 

おもちゃだ、ケーキだ、ジュエリーだ、ホテルだ、と

盛り上がってしまう日本の風習に、とても疑問を感じていた。


みんなは、何を祝っているの?

何に対するプレゼントなの?


バレンタインデーはわかる。

チョコレート屋さんが考えたイベントだとしても、

大好きな人に気持を伝える日。って、はっきりしてるから。



私は幼少期、(たぶん私くらいの世代ではめずらしくはないと思うが、)

 一度もクリスマスを家族で祝ったことなどなければ、

クリスマスプレゼントどころか、誕生日プレゼントさえ、

親からもらったこともなかった。(と、思う。記憶の範囲では)


なので、やっかみ・・・? かもしれないが、、、


なんでキリスト教徒ではないのに、

1年のご褒美的に、子供にプレゼントをあげなきゃいけないの? 

そんな交換条件的なことをしなければ、頑張れないの? 

誕生日プレゼントとお年玉で充分!


そういう価値観が体に染み付いてしまっていた。 


それでも、 Mの幼児期には、

絵本とか、木のおもちゃとか、DVDとか

私がMに揃えて上げたいものを、自分でもピンとこないなぁ・・・と思いながら、

サンタさんからという演出はせず、私からということで、

なんとなくあげたりしていた。


人からのプレゼントも、ありがたく頂いたし、

お友達のおうちのクリスマス会にも、喜んで参加させてもらった。


日本でも、家族を大事にする日、

家族で新年の準備を始める日?

宗教を超えて世界平和を祈る日?


といった感じになれば良いのかなぁ???


もう、そうなりつつある?



2010サカス



Mが3歳か4歳のある年のクリスマス、

芸大同級生のHSが、

元カレからもらったトーマスの乗り物(実際子供が乗れる特大型:笑)を、 

「MにはHSからってことは内緒にして。」と言って、

イブの夜中にわざわざタクシーで、うちの玄関先においていってくれた。


次の朝、Mがそれを見つけて、どれだけ喜んだことか。

いくら私がクリスマスに対して冷ややかでも、

さすがに 「あ、それHSからだよ。」とは絶対に言えなかった。


Mはそのことをきっかけに、「サンタさんはいる!」と確信をもった。


Mがある程度大きくなって、自発的に欲しいものを言うようになるころには、

近所のクリスマスに飾り付けをする家の前を通りながら、

Mが「うちもこうしたい。サンタさん○○くれないかなー」と当然いうので、

私は
「キリスト教のおうちならいいけど、そうじゃなかったら
 クリスマスを祝うのはおかしいと思うんだよ。」 
「日本人はお正月をしっかり祝えば良いと思うんだよ」

と、ことあるごとに言っていた。

「キリスト教の昔の偉い人で、セント・ニコラウスという人が
 サンタクロースの伝説のもとになったみたいだけど、
 今の赤と白の服を着たサンタさんってのは、コカコーラのキャラだからね。」
(※コカコーラとの関係については諸説あり)

とも、あっさり話した。


それでもMは「でも、ボクのところにサンタさん来てトーマスくれたじゃん。」

と、きっぱり言っていた。


やっぱり私は「あ、あれHSだよ。」とは、言えなかった。




今年になって、Mは街中で、
コカコーラのポスターに例の赤い服を来たサンタさんが描かれているのを見つけて、
衝撃を受けたらしい。


「ママ、やっぱりママの言う通りだった。

 赤い服のサンタさんはコカコーラのキャラだった。」

と言ってきた。

「でしょ? ほらーー」

「でも、もう死んじゃった本当のサンタさんはいたんでしょ?」

「セント・ニコラウスのこと?」

「そう、その本物のサンタさんの話、もっと知りたい。」

というので、ウィキペディアで調べて、サンタクロースの諸説を読んで聞かせた。


そしてMは「ふーーん」と言って聞いていた。



後日、Mが、学校のPCの授業で作ったクリスマスカードにほしいおもちゃを書いていた。

「あれ?サンタさんいないんじゃなかった?」

「いーの!」

「Mはやっぱりサンタさんはいると思ってるの?」

と聞いてみると、


Mはちょっと考えて、

「そうだ!わかった!!

 ボクのところにきたサンタさんは、天国にいる本物のサンタさんだ!

 今街にいる赤い服を着たサンタさんは本当はいないけど、

 本物のサンタさん(聖ニコラウス)の魂が、

 スターウォーズのオビ・ワンみたいに、ううーーって人間の姿に変身して、

 それでおもちゃやさんに買いにいって、

 本当に良い子のところにプレゼントをくれるの!」


「えええ!!!???

 そ、それって都合良くない!?!?

 セントニコラウスの魂が人間に化けて、

 デパートでMの欲しいもの買ってるってこと!?」


「そう!毎年もらえるかどうかはわからないし、

 ボクが欲しいものをもらえるとは限らないけど、

 でも、がんばってる子のところには、プレゼントくれるの。

 だから、ボクはいつも世界のことを考えてるんだ!」


・・・・・そうきたか〜〜〜、、、、




そこまで信じてるのなら、これはその空想力を壊してしまうのは、

親としてどうなのか??ということか??



もしかして、この年齢くらいの時期には、

お化けが恐いと思う時期が必要なのと同じように、

ファンタジーを信じる心というのが必要なのかもしれない・・・



大きくなって、サンタさんがいないとわかる時がくるとしても、

今は、サンタさんとか、小人とか、妖精とか、

ファンタジーの世界を思いっきり繰り広げる空想力が必要なのかもしれない。



と、私の揺るぎないと思っていた価値観が、緩んで変化した瞬間だった。



迷いに迷ったあげく、

24日当日に、AmazonでDVDを頼んだ。

私も好きなスターウォーズのDVDセット(笑)


Mが欲しかったらしいMMYとお揃いのバクガン?のおもちゃは良くわからなかったので、

フォースを磨け!
心を鍛えないと暗黒面に取り込まれるぞ!という理由付けにして(苦笑)



さすがAmazon。

当日便だったが、ちゃんとプレゼント用にラッピング、

メッセージカードも付けてくれて、

Mが夜、習い事の忘年会に行っていて不在中に、届いた。


Mにとってのクリスマスはその忘年会で充分満足したらしく、
(空手なので決してクリスマス会とは銘打ってなかったが)

帰宅後、それ以上「(例えば)サンタさんくるかなー」などとは全く言いもせず、
「あー、楽しかった」と、ぐっすり眠った。


そして次の朝、枕元においてあったプレゼントを発見して、

声もなく目をまんまるにして驚くMの姿、小躍りして喜ぶMの姿を、

私は薄目でその様子をうかがって、興味深く見守った。


2010ニコラウス


枕元のプレゼントとは別に、

24日に弟TRの奥さんMKちゃんのプリザーブドフラワー教室で
私が体験レッスンで作らせてもらったアレンジメントと、

弟夫婦からMにもらったクリスマスプレゼントを
テーブルの上においておいた。


こっちは、TRとMKちゃんから、
お花はMKちゃんの所で私が作った。と言うつもりだったのに、

Mはそっちも見つけるなり、

「こっちにもあった!!!ママにも来たよ!!
 ママもいつも頑張ってるから、サンタさんからプレゼントもらえたんだよ!!」

と大喜びだった。


あ・・・・、TRとMKちゃんからって、言えなくなってしまった、、、


うーーーーん。。。


ま、いっか。


もし、そのうちバレたら、

セントニコラウスの魂が私に乗り移って、お花を作った。

ということにするか(笑)



セントニコラウス、大人にとっても都合がいい?



「もし今年プレゼントをもらえなかったら、どう思った?」

自分は良い子ではなかったと、自己否定に入ってしまうのか??

と、親として、ちょっと迷ったので、

聞いてみた。



するとMは「それはそれで。別に。」と言っていた。


もらえたら、5倍か…4倍くらいがんばれるけど、

もらえなくても、それはそれでしかたがない。と思えるらしい。


ええ?!もらえなかったら、反省しようよ、、、!!



しかし、すごいな、その完璧に自分に都合の良い考え方!



ゆるキャラMのファンタジーは筋金入りだ。


こじ開けるでもなく、ねじ曲げるでもなく、


私の鉄壁の価値観を変えさせた。



今年の12月は、ちょっと魔法にかかったみたいな


なんとなく不思議な雰囲気だ。


  プリ
カテゴリ:Mの世界 | 11:36 | - | - | -
クマカードと、ありがとう
「ねえ、みて」 


と、 11月の小春日和の午後、


わたしとくめちゃんが、女子トークをしながらデッサンをしていたら、


Mがなにやらもってきた。


「 バぁ〜〜〜   」


 M_クマカード 

・・・・・ 


(爆!!)


ゆるい!! ゆるすぎる!! 


Mの真骨頂!ゆるかわ!!!



週末、クラスの友達Iくんの誕生日にあげるバースデーカードを

教室の片隅で一生懸命作っていた。 


なぜクマ!? なぜ水玉!?

ポケモンが好きなIくんにあげるカードが

なぜクマの飛び出すカードなのかわからないけど、


とにかく、いいの作ったね!!

同じの作って、うちにもとっておこうよ! 

と言ったのだが、


 「やだ」


やはり子供は“うまくできたものをあげる”ことに意味があり、

それを手元に取っておきたい、とは思わないのか?


しかし、Mは、まったく別の仕組みのびっくりカードを作ってIくんにあげた。

クマカードをなぜあげなかったのか、 

未だに不明。



私とくめちゃんでウケすぎちゃったかな。。。



***



たしか、

その日の夜、


Mが自宅にあった以前何かを作ったモールをほどいて、

なにやら作っていた。


いつもは、自宅ではモール&ねんど禁止(やりはじめると止まらないので)

なのだが、その時は、宿題も済んでいて、夕食ができるまでの時間だったので、


まあ、いいか、とほっといた。


「ママ、はい。」と料理をしている最中に手渡されたモールのかたまり、


今渡されても困るよ。と突き返した。


 →世の育児書では、こういう場合、どんなに忙しくても家事の手を止めて、
  「あら、なあに?」と子供と目線の高さを合わせてしゃがみ、
  「まあ、すてき!ありがとう!!」と受け取らなければならないそうだが、
 
  …できますかいな。 

  料理は、時間が勝負ですし。




次の朝、またMが


「ママ、これボクが作ったんだよ。

 あ、り、が、と、う、ってなってるんだよ。」


と、手のひらにモールのかたまりをごちゃっと乗せて持ってきた。



ふーーん。 でもバラバラでわかんないよ。

じゃあ、“あ”だけ字に見えるから、これだけMacくんの横に飾っておいて、

あとのはなんか小さい箱にでも入れといて。


と、いつものようにあっさり、流した。

内心、またバラバラする面倒なものを作ったなあ、と思っただけだった。

とにかく散らからないように、まとめておいてもらいたかった。



そして、Mは学校にいった。


朝の慌ただしい時間が過ぎてほっとして、


コーヒーでも入れようかと台所に行くと、


何年か前、私の誕生日に友達にもらったマリメッコの鍋つかみの上に

2年前、弟たちの結婚式の引き出物だった虎やの最中の箱の中に


Mの「あ・り・が・と・う」が



ちょうどいい大きさで



入っていた。




M_ありがとう
カテゴリ:Mの世界 | 12:37 | - | - | -
新生!新世界
先週の春休みに、ちょっと手術をしてきました。

 −たくさんの深い愛情に支えられました。

 −この場をお借りして、心から感謝申し上げます。


人間の命のモトを生み出す臓器、卵巣に、 
間違えてできてしまった細胞が付着してしまっていたので、
大変なことになる前に、思いきって取ってもらいました。


すっきり新生です。


友達のtmtmが、入院中に読んだら、と、本をくれました。 

入院中は、年度末にやらなきゃいけなかったのにできなかった仕事関係の資料など、
PCといっしょに病院にもっていったものの、

なんとなく、これから新生するすがすがしい心境のなかで、 
以前のごちゃごちゃした雑務をしたくなくて、 

きれいになったばかりの病院の、天空に浮かんでいるような病室で、
tmtmにもらった彗星発見家の本を読みました。


引きつけられるように読みたくなる本とか、 
たまたま見たテレビ番組とかって、偶然とは言え、

必然的に自分に必要な情報だったりしませんか。 


その本には、私がいままでぼんやりもっていた疑問に答えるような、

いや、答えではないにしても、これからの思考のヒントになるような
 
内容がありました。

 
人間の地球における役割。 


私は、それまで、 
人類は、地球を破壊・破滅するために、地球の寿命の最後の方に、
発生したんじゃないか、と、うっすら思っていました。 

地球にとっては、人間はウィルスみたいなものだったんじゃないか、と。 


でも、その本には、 
 人間は地球上の生態系のバランスを取る役割のために誕生した。

と書かれていました。 


人間が、他の生物にはない、頭脳・知能を使って、 
バランスを崩してしまいそうな生態系を見張って調整しているのだ

と書かれていました。 


お盆の水をこぼさないように、知恵を使ってお盆を水平に保つ役目だと。


 なるほど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 


宇宙も地球も生物も、 

偶然? のかけ合わせで生まれたものだといわれているけど、
 

「偶然は必然からなる」


生まれ出たものは、すべて必要なもの。


失敗したと思うことも、次の成功のために必要なもの。

無駄な経験はありません。


人間は、人類の歴史上、ちょっと前、  

戦争だとか、自然破壊だとか、自分たちの能力を過信して、
地球のバランスを保つためには間違えたことをしてしまった。

でも、 

「失敗は成功のモト」

間違ってしまったことに気づいて、謙虚に受けとめて、

反省して、改善して、次につなげれば良い。

そのために「失敗」がある。 


「失敗」がないと、何が「成功」なのかわからない。


「失敗」を経験したことがないと、

「成功」しているのに、それが本当に自分にとって「成功」なのかわからず、

その「成功」を大事にできない。



「新生」するためには、必要な「死」もある。 

「再生」するためには、取り除かなければならない部分もある。


もしかしたら人間は、今、過去の失敗を教訓に、 地球を再生させるために、

新たな道を進み始めた時期なのかもしれないなー と思った。



 何ヶ月か前に作られた、Mの作品

どんなテーマで書こうか、ずっとあたためてきた。


「新生」っぽい。

 M_新生 

どっかから、からだのどっかから、ふわっと出てきたような

不思議な生き物。 


 鳥? ドラゴン? ペガサス? 

 赤ちゃん? 大人?

 か弱いの? 勇ましいの?



ついつい、私は、自分の息子には、
「これなんなの? 中途半端じゃない?」

と、わかりやすい成果物を期待してしまう。


でも、Mは

「いいの!!これで完成なの!!」と言い張る。


そうだ、 別に、今まで見たことがある「何か」にあてはまる必要はない。


デッサンや塑像とは違う自己表現(自由工作)なのだから、
正しい動物の形である必要はない。 


ついつい、自分以外の感覚に対して、 
自分の理解しやすさの為に、わかりやすい表現を求めてしまう。 


「1」なのか「2」なのか、整数である必要もない。 

「1」と「2」の間には、「無限」の小数がある。 


1分という時間も、あっと言う間に感じられる時もあれば、

ずいぶん長く感じる時もある。


人によって、感覚によって、流れる時間の速度や、

最終地点の場所も形も、さまざま。 


個々の世界は、無限にある。


人の数だけ、生命の数だけ、数の数だけ、宇宙の数だけ。


自分と違った世界は、自分がガチガチになっているときとか、
なかなか理解ができなかったりするけど、 

その人にとっては大切な世界。 


大切な人であればあるほど、その人の世界は私にとっても大切な世界。


自分の中の余分な部分を取り除いて、ふっとチカラを抜いてみると、
ごく自然にシンクロできる。 


そうやっていろんな世界が融合して、また大きな世界ができたり、
それが、自分でも思いもよらなかった驚きだったり、 

とてつもなく大きな幸せだったり。 



がむしゃらに手に入れようと思っていると得られないことも、 

大きく深呼吸して待っていると、

するっといつの間にか自分のそばにあるかもしれない。

自分以外の世界との「バランス」は、そうやって保つのかもしれない。 




せっかく、新生な気分になりましたので、 


ゆっくり、新世界の変動を大切にしていきたいと思います。。。









カテゴリ:Mの世界 | 12:21 | - | - | -
脳のちがい
ねりゴムがない!!

鉛筆デッサンで使うねりゴムがない!!


ねりゴムは小学生に大人気。

ねればねるほど、やわらかーーくなって、
ふわ〜〜っと、ネット状にひろがったり、ながーーくのびたり。

ねっているだけでも、ちょっと癒されるアイテム。

そんなねりゴムは、Mにねずみにされていた。

M_ねずみ

う、うまいじゃないか・・・・!


前にも書いたが、私は子供の頃、絵ばかり描いていて、
立体は(記憶の範囲では)ほとんどつくらなかった。

幼稚園時代は、とにかく絵ばかり。

広告の裏が白いものが集めてあって、
(そうそう、ピアノの椅子にひっかけられた、不二家のぺこちゃんのビニール製のバックにためてあって、)
お姫さまや、女の子や、ちいさな絵本をひたすら描いていた。


小学校に入ってからは、テーラーだった祖父の傍らで、裁縫をし始めた。
フェルトでマスコットを作ったり、リリアンを編んだり、
キルティングで、ボシェットやキンチャクを作りまくった。

毛糸で大好きだったモンチッチのチョッキを編んだりした。

立体と言えば、そんな裁縫系ばかり。


Mのように、粘土で動物をつくったり、モールで架空の生き物を作ったりという発想は
全くなかった。


男脳と女脳のちがいかな?

まあ、でも個性の違いでしょうね。

子供の美術表現は、身体の発達に添って、ほぼ決まった段階を踏んでいくが、
そのなかでも、絵が好き、工作が好き、色が好き、形が好き。と
小さい頃から、個性がはっきりとある。


私も得意だったこと、苦手だったこと、もちろんある。

が、私が苦手だったからといって、子供たちの「やりたい」気持ちを逸らすことはできない。

その子の「やりたい!」という気持ちが湧き上がったその瞬間に、
私は、フレッシュな状態で抵抗無く受け入れて、すぐにその子の手を動かさせてあげたい。


私が苦手だった分野から、驚くべきステキな作品を、見せてもらえるかもしれない。

自分の作品だったら、手を出さなかった素材とか、モチーフとかから、
涙が出るほど感動する作品を、見せてもらえるかもしれない。


そう考えると、
自分の好みって、何だ? なくてもいいじゃん?と思う。
自分のこだわりって、何だ? ない方がいいじゃん?と思う。

物事は、一方向から見ると、理解できなくて、受け入れることができなくても、
別の方向から見てみると、すごくよく理解できて、思いもよらず、自分にすんなり浸透することもある。


なので、
わたし、この人、苦手だーーー とか、
わたし、これ、嫌いだーーー とか、って決めつけてしまうことって、
本当にもったいないかもしれないなー、と思う。


真っ正面からぶつかっている時は、鋼鉄のようにゴツゴツとした岩の壁に見えても、
もしかして、裏側からや、少し俯瞰からみてみたら、すごくキラキラとした宝石や、
ふわふわとしたやわらかい生き物が守られているだけなのかもしれないから。


個性の違い、好みの違い、発想の違い、切り口の違い、手段の違いって
ただの、個々の気付きのきっかけで、本当はみんな、
「良いなーー」って思えるものって、目指す本質は同じなのかもしれないなー、なんて思う。



まさかねりごむで作られるとは思わなかったMのねずみは、
私の脳の中で、はしっことはしっこにあったカテゴリーを、

ちょろちょろちょろっと意外にもかるく結びつかせた。

カテゴリ:Mの世界 | 23:44 | - | - | -
ゆるろぼ
またまた、ゆるいMの相棒ができた。

ゆるキャラが、少し前から注目を集めているが、
なぜか・・・

強烈なイメージで、これでもか!とアピールしてくるキャラクターより、
ゆるキャラは、きっと
意識のすき間に、ゆるっと入って来ていて、
気付かないうちにじわじわと、こころの中に浸透しているからなのかもしれない。

だから、最初は、うーん・・・いまいちだよなー・・・
と思っても、
にくめない、なんかかわいい、なごむ・・・
なんてかんじで、
いつのまにか、大切な存在になっている。


ゆるろぼ
カテゴリ:Mの世界 | 09:32 | - | - | -
星の響き
去年、Mは保育園の年長だった。

私はその年度、父母会の情操イベント係だった。

Mを2歳のときから担任してくれているNちゃんは
その年の夏、保育園で良く読み聞かせされていた絵本『スーホの白い馬』の舞台であるモンゴルに
ホームステイ旅行に行った。(単身女子1人で!あっぱれ!!Nちゃん!)

そして、12月に行われた「おたのしみ会」では、Mたち年長さんは、
見事に『スーホの白い馬』の劇を演じた。

本人たちやNちゃんにはもちろん、親の胸にも、誇らしい達成感だった。

年明け2月の情操教育イベントを企画するにあたって、
Nちゃんにどんな内容がいいかと相談すると、即答で「馬頭琴が生で聞きたい!」と
返って来た。

それまで色々企画のアイディアを係から出していたが、そんなのは吹っ飛んでしまうような
素敵なアイディアだった。

予定の開催日まで1ヶ月、急ピッチでリサーチをかけた。

ピアノと料理の先生をしているK林母さんと私で、モンゴル大使館に飛び込みで情報収集に行った。
アポ無しということと、モンゴル大使館にもゆったりとした大陸時間が流れており、
なかなか担当者にお会いできず、かろうじて東大に通うモンゴル人留学生を紹介して頂いたが、
その方にもうまく主旨が伝わらず、情報を頂くことはできなかった。

そんな中、K林母さんがインターネットで、
日本人で唯一、馬頭琴とホーミー(モンゴル独特の歌唱法)の
両方をマスターしている「岡林立哉さん」という方を探しあててくれた。

ホーミーは私の中で外せなかった。

馬頭琴はもちろんだが、ホーミーが作り出す宇宙的な音の空間、
これを体感するということは、子供たちにとって、この上ない情操になる。


ちょうどその日、横浜・野毛のルタンペルデュというベルギーピールのお店で
岡林さんのライブがあるということで、迷わず、母子2組で飛んで行った。

初めて聞く生の馬頭琴の音色。

モンゴルでも今や全く使っている人がいないという、
山羊の革を張った馬頭琴の、優しく温かい、土の香りのするような音。

宇宙的な不思議な響きのホーミー。

一瞬で魅せられた。

演奏の合間で話されるモンゴルの情景。
岡林さんの優しい人柄が溢れていた。

子供たちの他愛もない質問にも優しく、わかりやすく答えて下さった。

突然イベントの出演を切り出したにも関わらず、快く話を聞いて下さった。


平行して、少しでもモンゴルや馬頭琴につながる情報が欲しくて、
巣鴨の有名なモンゴル料理店に、K林母さん親子と、旅行代理店に勤めるS藤母さんと一緒に、
試しに行ってみた。

そのモンゴル料理店では、モンゴル人の方が、馬頭琴の生演奏をする時間があった。
現在モンゴルで主流の木製の馬頭琴だった。
岡林さんの説明にもあったが、木製の馬頭琴はバイオリンのような金属的な高い音色だった。

ラスト1曲で「どなかたリクエストを」とお店の日本人の方が言ったので、
Mが「スーホ!スーホの白い馬!!」と叫んだのだが、
モンゴル人の演奏者には伝わらず、リクエストは受けてもらえなかった。

最初は、やはり本場モンゴルの方の演奏を子供たちに・・・と思っていたが、
ことばの壁が子供たちの興味の妨げになってしまっては、その良さが伝わりきらず、
尚かつ、子供たちの素朴な質問やリクエストに、わかりやすく対応して頂けるという点で、
岡林さんに保育園での演奏をお願いしたい!!と、係の意見が一致した。

出演依頼から開催日まで3週間を切っていたが、忙しいスケジュールの合間を縫って、
京都在住の岡林さんは日帰りで、東京に演奏をしに来て下さった。


情操教育イベント「モンゴル 馬頭琴とホーミーの調べ」

保育園のホールに白い布でモンゴルの遊牧民の「ゲル」というテントを模した飾り付けをした。


革張りの馬頭琴の優しい音色

ホーミーの宇宙的な響き

モンゴルの大草原の素敵な写真の数々

岡林さんの興味深いモンゴルのお話

子供にも大人にも、心に響く素敵なイベントになった。


その後も、東京でライブの予定があると、岡林さんからご案内を頂き、
息子Mと足を運ぶようになった。

お楽しみ会の劇用に、年長さん全員、馬頭琴を手作りしたが、
Mは岡林さんに、馬頭琴の首飾りを作ってプレゼントしたい、という。

紙粘土で馬頭琴を作った。

ヘンプの紐を三つ編みして、馬頭琴の目に通した。

M_馬頭琴


M本人としても良い出来で、ちょっと岡林さんにあげてしまうのを躊躇していたが(笑)、
せっかく上手にできた馬頭琴の首飾り、手元にもっている方がもったいない。

心を込めて、岡林さんにプレゼント。

M_岡林さんと

先日、国分寺のカフェスローで行われたライブで、Mから岡林さんへ手渡す。
ライブの後半、首飾りを首にかけて演奏をして下さった。



毎年岡林さんが主催して行われている、モンゴルツアー。

Mは「いつモンゴル行くの?」といつも言う。

モンゴル、早く行けるといいね。

モンゴルの草原は、あたまでは理解できないくらい、広いんだろうね・・・
モンゴルの星空は、涙が出るくらい、綺麗なんだろうね・・・


カテゴリ:Mの世界 | 15:42 | - | - | -
空までの構造
みんよんが綿を使っていたので、
Mも綿を使いたくなった。

Mの場合は、四角い脱脂綿をなぜか好んだ。

いちおうMも小学生なので、テーマをやる。

テーマ「浮かぶ」

まず、細い木の棒で十字を作った。それがくるくる回るという。

その下に、雲を吊るす。という。

青い針金を、十字に巻き付けた。

それを、下におろして、その先に綿を付けようとしていた。

針金は、上にするんじゃないの?
雲は、テグスで吊るした方がいいんじゃない?
針金なんて、目立ち過ぎだよ。

と、わたしは横から意見を言った。

その日きていたTSも、「そうだよ、針金は天井から吊るすのに使うんじゃない?」と
コメントした。

でも、Mは「これでいいの!」と言い張った。

もう一、二回、
雲は宙に浮かんでるように、透明の糸の方がいいよー。と
わたしは、自分の好みを押し付けた。

 わたしは大学時代、映像を使ったインスタレーション作品を作っていた。
 映像が、宙に浮かんでいる様な、透明なオブジェの中に浮かんでいるような現象を
 展示空間に作り出して、見ている人をとりまく空気全体をデザインしたかった。
 デジタルが苦手な頭で、いつもそんなアナログな仕組みや装置を考えていた。

 重力のない感じ、浮遊する感じ、を表現するのが好きだった。

それでもMは、どうしても青い針金の先に雲を吊るしたいというので、
その意見を尊重した。
針金の先に厚紙で土台を作って、その土台に、ぺたぺた、Mは脱脂綿を貼り重ねていった。

あまりにも、脱脂綿は四角かったので、端っこをふわふわっとさせたほうが
雲っぽいよ。とアドバイスして、それは聞いてくれた。


空から青いロープが降りているようだ。
いや、雲から空に、青い蔓が生えているようだ。


そして、雲の上には、ちいさな住人たちを作って乗せた。

人間なの?宇宙人なの?星なの?

「星の人たち。」

色は塗らないの?

「ぬらない。」

そして最後に、木の十字にテグスを付けて、吊り下げられるようにした。

天上の十字。

できあがってみると、なんともファンタジックな不思議な感じになった。


青いやや太めの針金が、とても効いている。

十字の上に青い針金があったら、きっとおかしかっただろう。


Mが、見せ方を計算していたとは思えないが、
確実に、頭の中にあったイメージをその通りに作る以外、考えられなかったに違いない。

子どもといっても・・・ いや、子どもの方が、頭の中がクリアなのかもしれない。

べつに、工作だけじゃなくて、言葉にしても、思ったことをストレートに表現することしか、
術をしらない。

大人になると、ピュアなコアなイメージから、外に表現されるまでの間に、
何枚ものフィルターや、オブラートや、衣(きぬ)を着せたりしてしまうわけだ。

もちろんそれも、自分以外の人とコミュニケーションするために、大事なこと。
自分の考えをより良く相手に伝えるためには、フィルターを通した方が良い場合もある。

子どもは、経験的に、まだオブラートや衣を頭の中に備えていない。
だから、子どもは残酷だと言われる。

でも、この幼少期に、頭の中にあったイメージをストレートに外に出しておくことで、
大人になってから、経験の衣を着せなければならなくなっても、
自分が持っているコアな部分を思い出しやすく、忘れないでいられると思う。

それを出さずに、もやもやと、押し込めたまま、自分でもそれがわからないまま、
腐らせてしまうことの方が、もっと、きっと、恐ろしい。

どんなへんてこりんなものだろうと、奇想天外なものだろうと、
そうであればあるほど、妄想と現実が混在している子ども時代に、
思いっきり出しておいた方が、きっといい。


MR_浮かぶMR_浮かぶ部分


カテゴリ:Mの世界 | 11:13 | - | - | -
宇宙的モールの使い方
今の油粘土にハマる前、長いことMはカラーモールにハマっていた。

子供の頃、あまり立体物を作らなかった私は、
あまりモールに馴染みがなかった。
一般的なモールの使い方(花形にしたり、星形にしたり)しかアタマになかった。

しかし、Mのモールは違った。

たまたま生協で扱っていた工作用モールを、一袋買ってあげたのが最初だったと思ったが・・・

何色ものモールを束にして、「線」として使うのではなく、
「塊」として扱った。

まるで、雑巾を絞るように、Mはモールをねじった。

最初は、私も素材を提供する側として、
そんな使い方したらもったいないよ〜。いくらモールがあってもたりないじゃん〜。

と、真剣に止めさせようとしていたが、まもなく、その出来上がったものを見て、
想像をはるかに越えた宇宙から降ってきた発想を、目の前に見せつけられたような衝撃を受け、

もう、止めさせるのは止めた。

すごい・・・

こんな、モールの使い方は、初めて知った。

というか、モールを、こういう使い方をしようと思う回路が信じられない。

更に、Mは、今ハマっている粘土もそうだが、
一度作ったものを、躊躇せずに、壊し、変化させる。

私は貧乏性なので、
モールは、元の長さのまま出来るだけとっておくのだが、
Mはどんどん切る。

そして、短くなったり、手あかで汚れたモールも何度でも使う。

毛が抜けたモールなんて、初めて見た。

でも、それがイイ味を出してたりもする。

Mのモールは、目から鱗だった。

M_モールドラゴン



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